旅行

紅葉の只見線

2010年11月12日
By 野口真弥
紅葉の只見線

只見線に行ってきました。 紅葉も天気も最高でしたが、何しろ只見線は本数が少ないうえに、山間を走るので日の短いこの時期は撮影可能列車が非常に少ないのが難点です。それでも一つの列車を何回も追いかければ、撮影ポイント数はまぁまぁです。 この列車を第一只見川(会津桧原〜会津西方)で撮影後にこのポイントまで先行した時には、有名なコンクリート橋に日が当たっていたのですが、その数分後に列車が来た時にはこんなに影が・・・ これでも15時06分の撮影です。     ※言うまでもないですが、無理な追いかけは禁物です。追い付けたらラッキーくらいの気持ちでドライブしましょう。
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韓国ほぼ一周鉄道の旅 その3(終)

2010年10月2日
By murakashi
韓国ほぼ一周鉄道の旅 その3(終)

9/13 この日が事実上の最終日、天気予報は一応晴れとなっていました。朝起きて空には青空が見え一安心。前日のサブクの撮影は風こそ無かったものの時折降り出す雨に傘をさしながらでしたから。 8時にチェックアウトし2日前にチャーター予約したタクシーでモテルを出発、ナハンジョンに顔を出し先ず挨拶です。ナハンジョンとフンジョン間のスイッチバック区間の要所はカメラで常時ここの駅長室でモニターされていますから、2日前に挨拶していますが、当直者が同じとは限りませんので、「不審者が鉄道敷地内に侵入」と見なされない為です。 羅漢亭から桶里までの区間の略図を左に示します。国道33号線が付かず離れず走っているように見えますが高低差があったり立木が邪魔したりで余り見通しが良くありませんでした。矢印は添付写真を撮影したときの方向を示します。                                       当日の写真は以下に、ただタクシーであっちへ行ったりこっちへ来たりしたので時系列で並べると混乱しますので、下界から上への順で並べます。 トゲ駅に進入する上り旅客列車と交換待ちの下り貨物列車です。出発前読んだピクの記事ではここからサミットのトンニ駅までディーゼル機関車が後補機で付くと書いてあったのでその機関車群が居ると期待していましたが全く居ません。 トゲ駅を発車する上り旅客列車。右側の山中に炭坑が有り(あった)太平洋戦争前から掘られ日本海に面したムッコ(墨湖)港から積み出されていました。構内にはその名残が見られます。 ナハンジョン全景。今しもセメント列車がスイッチバックを押し上げられてフンジョンへ向かって行きます。この駅は運行が複雑で、それというのもこのスイッチバックの下端から先に伸びる引き上げ線が事実上1本しかないことに有ります。実はこの5分前先着の下り貨物列車が左側の引き上げ線からトゲへ向け発車して行きました。写真ではこの上り貨物列車は右側の引き上げ線からスイッチバックに入っています。ところがこの右側の線は長さが足りず樹で隠れたあたりで左側の線に合流しています。そこでこの上り列車は下り列車が発車し左側の引き上げ線が空いて初めて列車全体を引き上げることが可能となり、スイッチバック出来るのです。スイッチバックの起点をもっとトゲ寄りにすれば解決したのでしょうが、出来なかった理由はこの後フンジョン駅に行って判りました、地形的にフンジョン駅も後が無いのです。それではフンジョン駅の高度を下げた位置に作れば良かった?こうするとフンジョンと蒸機時代に作られた終点シンポリ間の勾配がきつくなりこの区間には長いオメガカーブトンネルがあるのでそれもならず、と云った条件が重なったことの産物なのです。個人的にはトゲ付近から築堤で高度を稼ぎ上って来ればスイッチバック無しに終点のシンポリまで行けたのにと思いますが、戦争中でしかも日本の敗色濃い時ですからこうするしか無かったのでしょう。 フンジョン側スイッチバックのクロス部分です。ここの線路配置は単純でこの背後側に線路が延びるだけです。只終端は斜面に突き当たるのでトンネルに入って行き止まりになっています。 この写真は下り列車のものです。左はシンポリから下ってきた列車がフンジョンに進入しようとするところ、右はフンジョンからナハンジョンへ下って行くところです。旅客列車はこのバック運転の時車掌が最後部の車両から前方監視をします。貨物列車は以前は補機のDLが前方監視役でしたが今はメクラ運転(ナハンジョンで線路状態はモニターしています)です。       シンポリから出発する下り旅客列車です。昔のシンポリは右手の山の後ろ側に広がる一寸した広場で、トンニへ鉄道でつながるまでそこが終点で、トンニまでインクラインで結ばれていたのでヤードが広がっていました。ヤード跡は今も少し残り、作業用車が置かれていました。  ヨーロッパの深山幽谷の風情があります、電化設備は日本風ですが。                             列車手前が旧シンポリヤード跡です。ここから右上方約1Kmのトンニまで有ったというインクライン跡は、一瞥したところでは、見あたりませんでした。何事も細かい事に探索癖ある一言居士師もこのときは撮影に夢中でそのことは忘れていたみたいでした。 旧シンポリのヤードを過ぎると第二のオメガカーブトンネルを経てここに出てきます。下段の線路は二枚上の写真でシンポリを出た下り列車がすぐさしかかる区間です。理論上(?)シンポリで交換する列車が両方とも写せる可能性は有りますが下段はシンポリから100mあるかないかの場所、上段は1Km弱離れていますから先ず無理で、それよりカメラを動かさず同じアングルで撮った写真を合成する方が簡単そうです。この場所に居ると数分後に同じ列車が左上後方を左から右へ行く列車が見られたと記憶します。それともシンポリを見下ろす場所だったか?良い加減な書き方で済みません、列車が右へ行ったり左へ行ったり、音だけ聞こえたりとこの辺に立つと錯乱状態になるのです。 上の写真の続き、次のトンネルに入る直前です。左側の樹が無ければオメガトンネル出口まで見える筈なのですが。   廃止間近になると築堤や線路端に生える木の伐採など、手抜きではありませんがそろそろメンテナンスを止め始めたのかもしれません。尚、この区間の枕木は意識して見てきましたが全部木製でした。 目の前を可成りの速度で通り過ぎる1000トン牽引重連電機の唸りは迫力満点です。  ...
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韓国ほぼ一周鉄道の旅 その2

2010年9月30日
By murakashi
韓国ほぼ一周鉄道の旅 その2

聞き慣れない駅名が続きますので概略行程図を描いてみました。この国は元々漢字使用国で発音が日本の音読みに近いですから日本の大和言葉に相当する固有語以外は漢字で書けます。あの判じ画のようなハングルで書いてあると頭に血が上ってうろたえますが、漢字でどう書くか予め知っていると発音を聞いてもなるほどと親近感をもてるような気がします。(でも文字を見ると又かっとなるのですが)鉄道と関係有りませんが日本はローマ字表記(当然漢字廃止)にならず本当に良かったと思いました。韓国の町中は漢字が少ないですが鉄道ホームの駅名板には漢字でも表記されています。  太線はKTX新線です。 9/11の続き トゲ駅に降りたち荷物を駅前モーテルに預け、タクシーで先程通ったナハンジョン駅へ戻ります。この日は撮影しませんが挨拶と貨物列車の時刻を教えて貰うためです。トゲからナハンジョン(羅漢亭)までは国道と川が平行するだらだら上りでそのナハンジョンからサミットのトンニ(桶里)までが明日に予定した撮影地です。線型を概略説明すると、ナハンジョン(海抜415m) 1.5Kmスイッチバックしてフンジョン(興田 449m) ここで正位方向になり4Km行くとシンポリ(深浦里 470m) を経て更に7.7Kmでトンニ(桶里 780m)ということになっています。トンニは全列車では有りませんが客扱いをしますが他はしません。尚ナハンジョンと次のフンジョン間は30パーミルですからこの公称駅間距離は列車長や停止安全距離を加味した値で実際の勾配部分は1Km強です。驚いたことにはナハンジョンで見せて貰った列車発着時刻表では交換待ち列車以外は停車時間はゼロです。事実列車は止まるとすぐ逆向きに発車して行きます。この区間に1日に週末運転列車を含め33往復のダイアが設定されていました。貨物はフランス製げんこつ型電機重連、客車は電機又はディーゼル単機牽引でこの区間を上り下りとも約21分で走ります。 9/12 天気予報が雨だったので予定を急遽変えトゲを早朝5時52分発の太白線直通チョンニャンニ行き上り列車で秘境と思われるアウラジ駅へ行くため分岐点のミンドゥンサン駅(漢字表記有ったはずですがメモ忘れました)まで行きます。ここでチェチョン(堤川)始発で盲腸線の旌善線へ入る下り列車を待ちます。 ミンドゥンサン駅構内に明らかに日本製と思える作業用車が雨にうたれていました。   列車は太白線と旌善線を走るローカルですから電源車をいれてたったの3両、それを強力DLが牽引してとろとろ走り、最初は秘境らしき風情のある谷間を走りますがだんだん開けてきて終点アウラジ駅に到着しました。駅前にはKorail観光開発会社が経営する廃客車をデコレートした食堂とアウラジから更に一駅先にあったクジョルリ(九切里)までの廃線を利用したレールバイク(二人こぎ自走車)があり一寸した観光地の駅です。後で知ったのですがこの一帯は今流行の森林浴で売り出し中で国鉄もその一環を担おうと考えているのでしょうが、日曜日と云うのに我々の乗った列車から降りたのは10人も居ませんし遊び人スタイルは我々だけです。。ソウルからの直通列車が1本あってもその所要時間は4時間、車だと3時間では現地の足のことを考えたら苦しい競争です。現にレールバイクには結構な数の客がいます、しかし列車から降りた人ではありません。             鱒にデコレートされた2両の客車食堂の後ろが駅ホームです。 レールバイクは定時発車で続行運転で旧本線に出て行き続行で帰ってきます。左側に見える線路は現役機回し線で延長上にあるストッパーの先のポイントでレールバイクは本線(廃線)に入り遠方へゆきます。只次のクチョルリまでは7Kmあり二人でこぐと行っても頑丈そうなバイクの作りから重そうで適当なところでUターンしてくるのでしょう。 鱒食堂でうどんを肴に飲んでないで我々もこういう健康な遊びをするべきでした。本線用DLが入線していた広軌のレール上を走れる絶好の機会だったのですから。 アウラジ駅ですでに機回しも終わり発車待ちのチェチョン行き列車です。此に乗りミンドゥンサンへ戻りました。ここへ来る切符は同駅で発券して貰いましたがこの駅は駅員無配置ですから帰りは車掌にPASSを見せ車内補充券発券を頼んだのですがどうも話がうまく伝わらず、と言うかPASS現物を初めて見たような様子でもあり我々から運賃は取れないと言うことは理解してくれて、結局無札でミンドゥンサンへ戻りました。 ミンドゥンサンへ到着と交換で朝チョンニャンニを出たアウラジ行き直通が出て行きました。右は太白線の下り方向です。このアウラジ行き列車は駅を出ると急カーブで左に180度曲がり谷の対岸を走ります。もっとひなびた家だと画になるのですが、太白線が開通したのが20世紀後半で沿線は新しい建物が多いです。 ミンドゥンサンで昼食となるパンなど買って待合室で食べていたとき、永年の勘で怪しげな雰囲気を感じ駅員に断り(大きな駅は駄目ですが小さな特に地方の駅は簡単にOKしてくれました)ホームに出てしばし太白線上り貨物が進入してきました。交流で架線も軽いのでしょう線路をまたぐ梁が長く支柱に煩わされず撮れるのが良いです。 この後太白線下り列車で一駅戻りサブク(舎北) で下車、列車から見下ろしてまあ撮れるかなと思われた地点へタクシーで戻ります。この線は付け替え線を除き最後に出来た路線で太白山系を横断する難所だと聞いていました。確かに山奥深く上がったり下がったり豪快なのは判りますがどうも引きの長く撮れる場所が車中から一見したところ無く、全部詳細に探索したわけではありませんが、この辺がまあ良かろうと、永年の勘です。 線路に沿って、樹が茂って見えませんが車の往来は少ないですが道路があります。この写真は車中から 見つけた唯一激流の対岸に渡る橋の上からでこの右後方に畑がありそこでなら線路から離れても狙えるとここでタクシーを降りました。勿論こんな場所から駅に徒歩で戻るのはいやですから迎え時刻を打ち合わせ「必ず来てよ」と念を押すのは忘れません。  太白線下り旅客列車で前から4両目のけばけばしい車両はゲーム・カラオケ・売店車です。  件の畑の中から、太白線下り貨物です。谷側の樹を切ってくれると嬉しいのですが旨く行かないものです。 結局、タクシーの迎えに来る橋の上に戻ってこの場所を離れる前の最後の一枚、やっと陽が少し射してくれました。見れば判るとおりこの先線路は続くのですが樹が邪魔しています。 オマケの1枚。 トゲへ帰る列車まで時間が合ったのでサブクの駅前道路に残っていたナロー線路の写真を貼っておきます。手尺で測ったらゲージは700mmありました。商店にいた年寄りから沿革など聞き出すのは私の語学力では不可能でした。さっきまで撮影していた場所に川を渡るがための橋脚とおぼしきコンクリートやそれに続く元築堤(?)を見ているので、 ちょっと未練あります。 <a rel=”attachment wp-att-629″ href=”http://krc.gr.jp/gazet
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下北半島の鉄道遺構探訪(4結)大畑線

2010年9月26日
By hayashi
下北半島の鉄道遺構探訪(4結)大畑線

下北半島連載の4回目(最終回)です。 大畑線(下北交通)に関しては、保存運転が続けられていることがよく知られており、改めて紹介するまでもないかもしれませんが、近況について触れておきます。 大畑駅は、保存が行われていることもあって、ほぼ原型をとどめています。駅もバスターミナルとして使われています。市内の道路標識も「大畑駅」の表示が残っています。バス路線は大湊/下北と大畑、さらに下風呂を経て大間を結ぶ路線が主です。また、下北と野辺地を結ぶ路線もあり、地方のバスとしてはかなり健闘しています。下北の交通へのコミットメントとして、南部縦貫鉄道進出の話もあった大畑線の経営に乗り出したのが、1985年7月。その後15年の運行を続けた実績は高く評価されてよいと思います。2001年4月1日で廃止になっています。 バス交通は全国どこでも厳しいです。下北交通もがんばっているものの、大畑駅は閑散としており、数台のタクシーが時折到着するバスの客待ちをしていました。駅には係員が配置され、定期券の販売や、鉄道グッズの販売を行っていました。 線路の遺構は急速に消えつつあり、特に下北-田名部のむつ市内はかなりわかりにくくなっていますが、大畑付近ではまだ路盤が残っています。国道(旧道)を乗越える橋梁は往時のまま残されています。   下北半島とはいえないかもしれませんが、野辺地からはもう一本線路が延びていました。1997年に休止の後、2002年に廃止になった南部縦貫鉄道です。1962年に開業し、当初は千曳から分岐していましたが、東北本線の複線化にともなう経路変更で、国鉄から旧線を譲り受け、1968年から野辺地に乗り入れました。私は1974年に乗る機会がありました。 今回、天間林、千曳付近を車で走りましたが、痕跡を見つけるのは困難でした。やはり時間的制約が大きかったです。もう一度時間をたっぷりとって訪問したいです。ただ、36年前に訪問したときのイメージと異なり、道路も整備され、都市近郊のような感じになりつつあります。人口20万人以上の八戸や三沢の郊外の延長のような印象です。新幹線の七戸十和田駅が開業すればさらにこの傾向は加速するでしょう。野辺地駅の防風林は昔のままでした。 (昔の写真がスキャンできたら追記します)     参考文献寺田裕一(2007) 「下北交通大畑線」「南部縦貫鉄道」、『私鉄の廃線跡を歩くI(北海道・東北編)』 pp.142-145、pp.150-153、,JTB村田正博(2004) 「下北交通大畑線」、宮脇俊三編『鉄道廃線跡を歩くX』 pp.52-53, JTB          
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韓国ほぼ一周鉄道の旅 その1

2010年9月25日
By murakashi
韓国ほぼ一周鉄道の旅 その1

蔚蔚
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平城遷都1300年・奈良線開通96年

2010年9月20日
By 野口真弥
平城遷都1300年・奈良線開通96年

平城遷都1300年祭もそろそろ終わりが近付いてきましたが、会場内を走っている近鉄と復元された大極殿が一緒に写った写真を見たことがないので、いったいどうなっているのかと現地に行ってみました。 その結果、わかりました。要するに両者をいい感じに写し取れるアングルがなかなか見つからないのです。 私の精一杯のアングルがこれ。無理やり感が漂います。
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下北半島の鉄道遺構探訪(2)大間線その2

2010年9月13日
By hayashi
下北半島の鉄道遺構探訪(2)大間線その2

大畑から下風呂までの間は、ところどころに朽ちかけた鉄道遺構が残されています。 まず、下風呂から10キロほど大畑によりにある赤川に残されているコンクリート橋梁です。このまま未完成の姿をとどめてきたのか、それとも残りの部分は取り壊されてしまったのかはわかりません。 赤川からさらに大畑よりにも小さな遺構が国道沿いに残されています。 赤川と大畑の間には木野部(きのぶ)という峠(山がそのまま断崖となって海の落ちる場所)があり、現在の国道は九十九折で乗り越していますが、この区間は鉄道トンネルが掘削され、かっては道路としても使用されていたそうです。時間がなくて、残念ながらこのトンネルを確認することができませんでした。 下風呂につぐ大きな遺構としてのこっているのは、大畑から3キロほどの地点にある、二枚橋橋梁で見事なアーチが連なっています。付近に防災拠点となっている広場があり、ここに駐車してゆっくり観察することができました。観光資源として活用することも可能ではないかと思います。 ただ一方で老朽化もかなり進んでいるようでした。下風呂のように完全に整備されていれば長期保存も可能でしょうが、オリジナルの姿は失われてしまいます。一方で二枚橋のようにオリジナルの姿をとどめているのは大変貴重ですが、長期的な保存や地元の方との調整が難しいでしょう。   「もし、大間線が開通していたら」という”歴史のif”を考えてみるのも楽しいです。もし、1943年頃に大間線が開通していたら、たぶん、戦後、貨物は無理としても旅客輸送ルートして、野辺地-下北-大間-函館が注目されていたでしょう。大湊線は線形がよいので、その気になれば高速運転が可能です。野辺地から1時間30分前後で大間に到着し、そこからフェリーで1時間40分となれば、青函ルートより1時間以上短縮できていたはずです。そうなると、青函トンネルの時間短縮効果の便益計算にも影響を与えていたはずで、もしかしたら青函トンネルの着工が遅れたかもしれません。もし、10年程度遅らせる効果があったら、すでに航空機時代に突入したでしょうから、青函トンネルの計画それ自体が影響を受けていたこともありえたかもしれません。またそれがなかったとしても、下北半島が今よりもメジャーな観光地になっていたのではないかと思います。 このほか、今回、薬研森林軌道と下北交通の遺構も訪問することができました。追ってご報告します。
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下北半島の鉄道遺構探訪(1)大間線その1

2010年9月13日
By hayashi
下北半島の鉄道遺構探訪(1)大間線その1

9月9日から12日にかけて、東北に行ってきました。早池峰山に登ったあと、下北半島を目指しました。今回の、鉄道関係の主目的は下北半島に散在する鉄道遺構です。 なかでも、もっとも関心があったのは大間線(大間鉄道)の遺構です。本州最北端の大間崎から北海道側の汐首崎までは17キロしかありません。大間崎からは函館山が指呼の間に望めます。このような立地から、本州と北海道の短絡ルートとして注目され、戦前に下北から大畑を経て大間に至る鉄道か計画されました。このうち下北と大畑の間18キロは大畑線として1939年に開業します(1985年下北交通に転換、2001年廃止)。残る大間(奥戸)までの25キロのうち、大畑と桑畑の間は着工されたましたが、結局、戦局の悪化に伴い、1943年に工事が中止になりました。その後、青函トンネルのルートとして検討されたこともあるようですが、結局は未成線として放置され70年近い年月が経っています。。 現在、もっとも目立つ遺構は、下風呂温泉街の中にあるアーチ橋です。戦時中の粗悪な工事で鉄筋ではなく竹筋コンクリートの構造だったといわていて、地元でも長年もてあましていたようですが、2005年に整備されて、現在では貴重な「地域資源」として活用されています。 温泉街の中のアーチ橋は、大変見事に風景に溶け込んでいます。浴衣姿の温泉客が散歩する姿も見られました。 アーチ橋の上には下風呂集落・温泉の歴史的由来や大間線の歴史的経緯を帰した説明板が設置されています。 今回、下風呂温泉で一泊しましたが、ウニやイカなど豊かな海産物の食事も楽しむことができました。   下風呂には、当然といえば当然ですが、駅が設置される予定で、その駅の跡も残されいます。 アーチ橋から30mほど大畑よりの公民館の傍らに、5mほど下の道から線路のレベルに上がる地下道が残っています。これが駅構内の階段になる予定だったようです。   現在では地元の方の通路として使われいますが、下から見上げると、上にホームがあって、もうすぐ列車が来そうな錯覚を感じます。     地図もご参照ください 大きな地図で見る    (続く)   参考文献廃線レポート「大間線」http://yamaiga.com/rail/ooma/main.html「大間鉄道」、宮脇俊三編著(1997)「鉄道廃線跡を歩くIII」pp.42-44, JTB「大間線」、森口誠之著(2001)「鉄道未成線を歩く(国鉄編)」、pp. 66-71. JTB    
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デッドウエイトカー?

2010年8月22日
By 野口真弥
デッドウエイトカー?

モンブランのふもとの街、シャモニー(フランス)からスイスにちょっと入ったところにあるエモッソン湖。ダム湖なのですが、そのダムを建設した時のケーブルカーやトロッコが観光用に運転されています。 そのケーブルカーがこれ。なんと最大89%という急勾配です。勾配が変化するところでは重力加速度が相対的に足りずケーブルが浮き上がってしまうため、架線柱のような「プーリー柱」があったりします。車体ももはや鉄道車両というより、搬器です。 201008訪問               角度にすれば37°ですが、乗ってみるとほとんど垂直に近い(ただのエレベーターか?)のではないかと感じられる勾配を上って行くと、謎の台車が現れました。ここからはこの台車を連結(ただ押し上げるだけなので、連結とは呼ばないかも)して上がっています。 なんじゃこりゃ? どうやら 上の方では勾配が緩く、上下の搬器の走行距離は同じでも垂直方向の移動距離が異なるためバランスがとれない。そこで、上にいる搬器に死重を足してバランスをとっている。   ということらしいです。 なるほど。 ちなみに、線路の横は水力発電所の導水管跡と思われます。
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カンボジアのSL

2010年8月15日
By hayashi
カンボジアのSL

今年の夏もカンボジアに来ました。保存されているSLです。
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