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下北半島の鉄道遺構探訪(2)大間線その2

2010年9月13日
By hayashi
下北半島の鉄道遺構探訪(2)大間線その2

大畑から下風呂までの間は、ところどころに朽ちかけた鉄道遺構が残されています。 まず、下風呂から10キロほど大畑によりにある赤川に残されているコンクリート橋梁です。このまま未完成の姿をとどめてきたのか、それとも残りの部分は取り壊されてしまったのかはわかりません。 赤川からさらに大畑よりにも小さな遺構が国道沿いに残されています。 赤川と大畑の間には木野部(きのぶ)という峠(山がそのまま断崖となって海の落ちる場所)があり、現在の国道は九十九折で乗り越していますが、この区間は鉄道トンネルが掘削され、かっては道路としても使用されていたそうです。時間がなくて、残念ながらこのトンネルを確認することができませんでした。 下風呂につぐ大きな遺構としてのこっているのは、大畑から3キロほどの地点にある、二枚橋橋梁で見事なアーチが連なっています。付近に防災拠点となっている広場があり、ここに駐車してゆっくり観察することができました。観光資源として活用することも可能ではないかと思います。 ただ一方で老朽化もかなり進んでいるようでした。下風呂のように完全に整備されていれば長期保存も可能でしょうが、オリジナルの姿は失われてしまいます。一方で二枚橋のようにオリジナルの姿をとどめているのは大変貴重ですが、長期的な保存や地元の方との調整が難しいでしょう。   「もし、大間線が開通していたら」という”歴史のif”を考えてみるのも楽しいです。もし、1943年頃に大間線が開通していたら、たぶん、戦後、貨物は無理としても旅客輸送ルートして、野辺地-下北-大間-函館が注目されていたでしょう。大湊線は線形がよいので、その気になれば高速運転が可能です。野辺地から1時間30分前後で大間に到着し、そこからフェリーで1時間40分となれば、青函ルートより1時間以上短縮できていたはずです。そうなると、青函トンネルの時間短縮効果の便益計算にも影響を与えていたはずで、もしかしたら青函トンネルの着工が遅れたかもしれません。もし、10年程度遅らせる効果があったら、すでに航空機時代に突入したでしょうから、青函トンネルの計画それ自体が影響を受けていたこともありえたかもしれません。またそれがなかったとしても、下北半島が今よりもメジャーな観光地になっていたのではないかと思います。 このほか、今回、薬研森林軌道と下北交通の遺構も訪問することができました。追ってご報告します。
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下北半島の鉄道遺構探訪(1)大間線その1

2010年9月13日
By hayashi
下北半島の鉄道遺構探訪(1)大間線その1

9月9日から12日にかけて、東北に行ってきました。早池峰山に登ったあと、下北半島を目指しました。今回の、鉄道関係の主目的は下北半島に散在する鉄道遺構です。 なかでも、もっとも関心があったのは大間線(大間鉄道)の遺構です。本州最北端の大間崎から北海道側の汐首崎までは17キロしかありません。大間崎からは函館山が指呼の間に望めます。このような立地から、本州と北海道の短絡ルートとして注目され、戦前に下北から大畑を経て大間に至る鉄道か計画されました。このうち下北と大畑の間18キロは大畑線として1939年に開業します(1985年下北交通に転換、2001年廃止)。残る大間(奥戸)までの25キロのうち、大畑と桑畑の間は着工されたましたが、結局、戦局の悪化に伴い、1943年に工事が中止になりました。その後、青函トンネルのルートとして検討されたこともあるようですが、結局は未成線として放置され70年近い年月が経っています。。 現在、もっとも目立つ遺構は、下風呂温泉街の中にあるアーチ橋です。戦時中の粗悪な工事で鉄筋ではなく竹筋コンクリートの構造だったといわていて、地元でも長年もてあましていたようですが、2005年に整備されて、現在では貴重な「地域資源」として活用されています。 温泉街の中のアーチ橋は、大変見事に風景に溶け込んでいます。浴衣姿の温泉客が散歩する姿も見られました。 アーチ橋の上には下風呂集落・温泉の歴史的由来や大間線の歴史的経緯を帰した説明板が設置されています。 今回、下風呂温泉で一泊しましたが、ウニやイカなど豊かな海産物の食事も楽しむことができました。   下風呂には、当然といえば当然ですが、駅が設置される予定で、その駅の跡も残されいます。 アーチ橋から30mほど大畑よりの公民館の傍らに、5mほど下の道から線路のレベルに上がる地下道が残っています。これが駅構内の階段になる予定だったようです。   現在では地元の方の通路として使われいますが、下から見上げると、上にホームがあって、もうすぐ列車が来そうな錯覚を感じます。     地図もご参照ください 大きな地図で見る    (続く)   参考文献廃線レポート「大間線」http://yamaiga.com/rail/ooma/main.html「大間鉄道」、宮脇俊三編著(1997)「鉄道廃線跡を歩くIII」pp.42-44, JTB「大間線」、森口誠之著(2001)「鉄道未成線を歩く(国鉄編)」、pp. 66-71. JTB    
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カンボジアのSL

2010年8月15日
By hayashi
カンボジアのSL

今年の夏もカンボジアに来ました。保存されているSLです。
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セトデン2010

2010年8月7日
By hayashi
セトデン2010

毎年恒例の夏の名古屋出張に行ってきました。夕刻、時間を見つけて、名鉄瀬戸線を訪問しました。 昨年も瀬戸線は大曾根-栄町間で乗りましたが、今年は尾張瀬戸まで足を延ばしました。昨年に比べてもステンレスの4000系が増殖しており、釣りかけ方式の6750系は一編成が喜多山車庫に留置されているのを見ただけでした。 右の写真だけみると、もはや名鉄の特徴はどこにもなく、全国、どこでも見られるような光景になってしまっています。単行電車や2320系のスカーレット特急車が走っていたの頃ローカル中小私鉄然とした姿からは想像もできないほど、列車頻度も高くなり、乗客も増えています。ただ、セトデン由来の急カーブの連続は昔のままです。 左の写真は4000系の台車ですが、メカに弱い私でも、ボルスタアンカー付きの台車というくらいはわかります。瀬戸線の急カーブを考慮したものでしょうか? ここまでステンレス車が増殖してくると在来型の赤い電車もそろそろ記録に残しておいた方がいいかもしれません。   上にも書きましたように、路面電車やナロウゲイジを除く鉄道で唯一残った釣りかけ電車の6750系は、もはやこの一編成だけのようです。喜多山駅の片隅に置かれていました。朝のラッシュ時くらいしか出番はないそうです。 昨年中に乗っておけばよかったと惜しまれます。   おまけですが、記録に残しておいた方がよいと思ったのは、この名古屋名物、名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」です。私は小学5年生のから中学2年生まで4年間名古屋で暮らしましたが、1964年に名古屋に引っ越した時にまず目に入ったのが、この「大名古屋ビルヂング」でした。「大」名古屋という尊大さ、世間一般の表記と違っていても意に介さない「ビルヂング」、このような名古屋の「個性」が大好きなのですが、どうやら早晩建て替えになるみたいです。ぜひ「新大名古屋ビルヂング」とデカデカと看板を掲げてほしいと思います。
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金沢・富山 小旅行(私鉄編)

2010年7月27日
By hayashi
金沢・富山 小旅行(私鉄編)

続いて金沢・富山、私鉄編です。
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金沢・富山 小旅行(JR編)

2010年7月25日
By hayashi
金沢・富山 小旅行(JR編)

金沢・富山の小旅行記です
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211系の記録(2)

2010年7月8日
By hayashi
211系の記録(2)

211系シリーズの第2回目は戸塚駅、保土ヶ谷駅周辺まで足を伸ばしました。
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211系の記録(1)

2010年7月6日
By hayashi
211系の記録(1)

まだ日常的に見られる211系を今のうちに記録しておきました。
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