今年はまだ新蕎麦を食べていなかったので、山都から10kmほどの宮古地区まで蕎麦を食べに行ってきました。 ところで、山都と言えばここ。 磐越西線の有名撮影地、喜多方〜山都の一ノ戸川橋梁に行ってきました。まだギリギリ紅葉が残っていましたが、それより天候に助けられてまずまずの結果でした。
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今年はまだ新蕎麦を食べていなかったので、山都から10kmほどの宮古地区まで蕎麦を食べに行ってきました。 ところで、山都と言えばここ。 磐越西線の有名撮影地、喜多方〜山都の一ノ戸川橋梁に行ってきました。まだギリギリ紅葉が残っていましたが、それより天候に助けられてまずまずの結果でした。
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今年9月の東北旅行では、下北半島に行く前に、早池峰山へ登り岩泉線も乗りつぶすという意欲的な計画だったのですが、7月に発生した水害で岩泉線が不通になってしまい、運休中の路線探訪になってしまいました。 鉄道と同様、車でもルートは同じで茂市で国道106号線から分岐します。国道106号線は大変立派な国道で特急バスも走っていて、盛岡・宮古のメインルートです。山田線が並行しているのですが、本数が極端に少なく、まったく使い物になりません。 その山田線の茂市から更に細々と山中に入っていくのが岩泉線です。写真は岩手和井内駅です。かっては区間開業の終点で、全通後も折り返し列車があったようです。ここまでは、国道340号線が2車線できちんと整備されており、茂市からは十数分で到着できます。一日数本ですが宮古方面へのバスも運転されています。 この岩手和井内駅から、国道は急に狭くなります。押角ー岩手大川間の国道は急峻な山道で、この区間の道路整備が進んでいないことが岩泉線を今日まで生き延びさせたわけですが、実際にこの峠道を走って見ると、押角ー岩手大川間で出会った対向車は1台だけでした。そもそも茂市から岩手大川、岩泉というルートに沿った旅客流動があるとはとても思えません。盛岡から岩泉までは国道455号線が茂市経由のルートの半分くらいの距離で結んでいます。また宮古から岩泉というトラフィックが仮にあったとても、小本経由のほうがはるかに容易です。現在代行バスが運転されていますが、バスと言っても「ジャンボタクシー」です。その程度の輸送力しか必要がないということです。 岩泉線は1972年に全通しました。1960年後半から70年代前半にかけては、さまざまな批判を浴びながらも、赤字ローカル線が次々に開業した時代でした。白糠線、美幸線、能登線、神岡線・・・これらの多くは高度成長期の右肩上がりの需要予測で作られ、そして想定されていた役割を果たすことなく、多くがすでに鬼籍に入りました。 岩泉線は本来、小本まで完成して機能を発揮するはずだったという説明もあるのだとは思いますが、上記のように盛岡ー岩泉ー小本ー宮古というルートで国道が整備されており岩泉線の出る幕はなさそうです。 JR東日本屈指の閑散線、赤字線というイメージをもって終点の岩泉に行くと裏切られます。駅舎は立派で大きく、駅前も整備されています。岩泉は龍泉洞というメジャーな観光地を抱える町で、決して寂れた感じのするところではありません。 ローカル線が好きな私としては岩泉線の復活を望みたいです。これが、最も早い「廃線跡めぐり」にならないこと祈るばかりですが、岩泉線が復活するのはどう考えてもきわめて厳しいものがあります。 2010年9月10日訪問
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只見線に行ってきました。 紅葉も天気も最高でしたが、何しろ只見線は本数が少ないうえに、山間を走るので日の短いこの時期は撮影可能列車が非常に少ないのが難点です。それでも一つの列車を何回も追いかければ、撮影ポイント数はまぁまぁです。 この列車を第一只見川(会津桧原〜会津西方)で撮影後にこのポイントまで先行した時には、有名なコンクリート橋に日が当たっていたのですが、その数分後に列車が来た時にはこんなに影が・・・ これでも15時06分の撮影です。 ※言うまでもないですが、無理な追いかけは禁物です。追い付けたらラッキーくらいの気持ちでドライブしましょう。
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目白駅の高田馬場寄り学習院のそばにある謎の階段です。
てっきり貨物営業時代の職員用通路のためかと思っていたところ、実は日本鉄道が赤羽-品川間を単線で開通させた当時、
左にあるトンネルはまだなくこの階段を昇ったところに踏切があったそうです。
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写真展へは多くの方にご来場いただき、ありがとうございました。 恥ずかしながら、写真展で展示した私の写真です。 2009年12月予想以上に雪が降り続ける磐越西線にて五十島〜三川
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南満洲鉄道株式會社が発行したパンフレットです。八つ折りになっており、畳んだ状態での表と裏が上の図の状態となっています。 広げた時の表面には写真が、裏面には文章による旅のガイドが記載されています。見た感じの良い、表面を先に公開しようと思います。 そして開くとこの状態になります。中央には「あじあ」が走り、周囲には沿線都市の風景が写っています。ハルビンにはロシア人らしき女性が居ますが、やはり「満鉄」にはロシア人は欠かせない宣伝像だったのでしょうか? そしてさらに開くと、ドン!満洲国の風景が色々出てきます。(2枚のデータを合成したため、一部写真がずれています。ご容赦ください) まさしく「旅行の栞」な感じです。写真が白黒であるだけで、現代の高校の卒業アルバムなどの写真配置とあまり変わりませんね。
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鉄研三田会写真展2010は本日無事に閉幕しました。 多数のご来場、ありがとうございました。
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