カールの小さいネガでまず全景。筑豊線山家から冷水峠に向けて登ってくる列車である。 このネガをMFホルダーにセットしスキャナーガラス面からの距離を変えたナンバープレート部分を画像処理は何もしていないすっぴん状態で下に示す。 2.5 2.7 3.0 3.1 3.3 3.5 これより最適な位置は3.3~3.5の付近にあることが判った。ただしMFホルダーでもネガ中央部はコンマ数ミリは垂れており、この拡大部分は中央部に近い位置にあるので実寸は(定量的に計測できないので推測)3.0~3.2ではないかと思う。 ガラス2枚でネガを挟み強制的に平面にするホルダーの製作 ニコンスキャナーで重宝したのはカールしたフィルムを2枚のガラスで挟んで平らにするホルダーであった。ブローニ判用だが35mmフィルムも挟めるから酷いカールのものも無理矢理開き挟んでしまえば強制的に平面に出来る。ニコンのホルダーはフイルム平滑面を上にしてセットするからこの平滑面に接するガラス面だけがANR加工されている。 このようなホルダーはエプソンもBetterscanning社も発売していないから自分で作るしかない。 平滑なガラスとフイルム(膜面ではない側)を密着させたとき、実際は完全な平面は実在しないから強く当たるところと弱く当たるところ(実際は微小に離れている)ができる。そのとき、微少な隙間に空気があると光が大きく屈折し強く当たった部分を中心に普通は同心円の図形(等間隔線)が現れる。これをニュートンリングと言う。これ以上説明すると付け焼き刃がばれるので後は省略するが、このニュートンリングも一緒に画像として取り込んでしまうからこの発生防止が必要となる。 フィルムは平滑面と膜面(画像面)があり、ニュートンリングは前者と平滑なガラス面が接するとき発生する。膜面はそもそもが平滑ではないから平滑なガラスと接しても問題は起こらない。ANRガラスとは光学ガラスの片面に微小な傷を付け密着しないようにした細密な磨りガラスである。 ガラス屋などを探した結果、左図の構成のものが作れ、これをスキャナーガラス上に置けば良いことが判った。 ANRガラス:Betterscanning社から購入したもの 高透過ガラス:緑色を帯びていない光学ガラス 厚さ3mm 高透過ガラスはスキャナーガラス上に直置きするとニュートンリングが発生してしまうので0.1~0.2mm程度の黒薄紙で作った枠の上に置くことで焦点合わせとリング防止が出来る。尚この配置にするとスキャンした画像は左右反転しているが、これは画像処理ソフトで反転させてやればよい。上図のANRガラス/フィルム/高透過ガラスの組み合わせを上下反転させる組み合わせはスキャンレンズとフィルムの間にANRガラス(細かいキズ)が入ることになりこれはNGである。 製作したガラス挟み込みホルダーである。ブローニ判用であるがもちろん 35mmストリップフィルムにも使える。 高透過ガラスは枠に入れてあるが上から押さえるANRガラスは外して斜めに、さらにANR面を上にしてある。照明の反射像が高透過ガラスはくっきりとしているのに対しANRガラスは(微細加工されているから)ぼやけているのが判るであろう。 製作ついでに、6x6スライドマウント用ホルダーも作ってしまった。大昔ペーパー車体模型電車の窓をカッターで切り抜いたことを思い出した。マウントの厚みを測ったら約1.3あったのでその中間にフイルムが挟まっているとして寸法を決めた。 模式図 完成姿である。 上に斜めにのせてあるのはマウント押さえである。 上記の素材は、ANRガラスは国内で(必ず存在するはずだが)見つからずBetterscanning社、高透過ガラスは大壁商事(http://www.order-glass.com) 適当厚さのゴム・プラスチック板は東急ハンズから購入した。
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エプソンの純正ホルダーで、フィルムのたわみがゼロとしても、スキャナーガラス面からフィルムまでの距離が2.0から4.0まで1mm刻みにしか変えられないのが気に入らない。レンズの被写界深度があるにせよ一寸荒すぎないか?中間にベストポイントがあるのではないか? そこでネットで知ったアメリカのサードパーティーが売っているGT-X970用MF フィルムホルダーを購入し自分のスキャナーの焦点はスキャナーのガラス面上何mmのところにあるのか確認してみることにした。 ホームページのURLはhttp://www.betterscanning.com このホルダーは、右の写真では1列しか写っていないが実際は2列ある枠にフィルムを落とし込み 左の写真にある”Tバー”と称するプラスチック製の小片を画面枠にあわせてはめ込み、そのときフィルムの垂れを押し上げながらはめ込めば、フィルムは小片と枠の間に密に挟まれ垂れを最小に出来る、というアイデアで設計されている。 下にTバーの模式図を示す。 そして、これがMFホルダーのセールスポイントである。スキャナーガラス面から フィルムまで距離を連続で2.5から3.5までプラスチックねじで調整できる。具体的には、ピッチ0.8mmのねじが使われているので、「ねじが全部引っ込んでいるとき2.5」ねじを90度時計方向に回すたびにo.2づつ距離が増す。度数は目分量だが90度の半分45度なら0.1mm上下出来ることになる。 Tバーを枠にはめ込むとき摩擦による抵抗力得るため枠をすこし押し広げるので右写真のようにフィルムがなくても相対する位置にバランス用のTバーをはめる必要がある。 フィルムは枠にある程度の力で押さえれば良いのであるから、それならば、ということでこのサードパーティーはTバーの代わりにANRガラス(アンチニュートンリング)もオプションで売っていたのでこれも購入してみた。Tバーより簡単である。左にその写真を示す。ガラスは判りやすいようにずらして撮影しているが正しくは枠内に落とし込む。下に模式図を示す。 アンチニュートンリングガラスとは、ガラス面にミクロの凹凸を加工したもので、ニコンスキャナーのオプションでブローニ判用ホルダーとして買い重宝していたので今回も買ってみたのである。 これで準備が整った。スキャナーガラス上面からフイルムまでの距離を変化させてピントの変化具合を見てみよう。
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今年の1月、長年働いてきたニコンスーパークールスキャン8000EDが突然壊れてしまった。部品が無く修理不能なので、エプソンGT-X970を使うことになった。ご存知のようにGT-X970はフラットベッドスキャナーである。使用上のKHを先輩に聞きながら稼働させたのでその顛末を述べたい。但し、意識して嘘は述べないがどうも個々の機械によって数値上の差が有るような気もするので、100%正確な記事としては捉えないで欲しい。 GT-X970はフラットベッドだからフィルムも反射式(光源から原稿に光を当て、その反射画像を光源と同じ側においたセンサーで読み取る)で・・・、うまく行くのだろうかと不安だった。しかし実際はフイルムスキャンのときは上に光源があり透過光を下側のセンサーで受ける方式で先ず一安心。 センサーから原稿までの距離は、ニコンスキャナーは自動焦点でピント合わせの心配はなかったが、GT-X970の操作画面にはそのようなキーが無い。ネットで調べると本来の反射光式のコピーのときはスキャナー上面ガラス上に焦点があり、フィルムスキャンのときは付属専用ホルダーの厚みを考慮して上面ガラス上(約)3mmに焦点があることが判った。”約”と言ったのはフィルムはカールしていたり、自らの重みで垂れたりするのでレンズの被写界深度でカバーしなければならないからである。 取りあえずブローニ判フィルムのスキャンをするのでエプソン純正ホルダーにフィルムをセットする。 これはフィルムをホルダーに置いた写真であるが、元のフィルムは膜面(画像側)を内側としてややカールしていたので、膜面を下にしておいてみた。しかしフイルムは自らの重量がカールに勝りこれも下に垂れる。 左は付属フィルム押さえで左右を押さえ込んだときの写真である。垂れ下がりは少し改善される。模式画を下に示す。フィルム支え面とガラス面の距離2.0, 3.0, 4.0とあるのは、この純正ホルダーは調整によりガラス面との距離を選べる構造になっていることを示している。デフォルトは3.0である。 これでスキャンしてみた。結果は悪くなかったが、一寸不安が残る。フィルム垂れ下がりの影響はないのか?そもそもこれがこのスキャナーで得られるベストなのか?自分が納得できるところまでこの目で確認しておきたい。
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8月17日 昨日列車を降りてから旋回橋に急いだのでButterworth駅周辺をよく見ていません。少し早めにホテルを出ました。途中旋回橋を左下に見る(マレーシアは左側通行)自動車専用橋を通りました。運転手に頼んで一時停車(交通違反です)して写しました。急いで撮影後発進したそのとき回送DLが来ましたが、さすがにStop again!とはよう言いませんでした。書き遅れましたが、マレーシアに入って何がほっとしたかというと私の英語でも通用することです。タイでは散々苦労しました。 昨日の写真は左側の河岸から、正面はアンダマン海、右奥がButterworth駅です。 駅前で気になっていた機関車を撮影。 これからSentral Kuala Lumpurまで乗る1列車Woodlands行き1,2等座席急行Rakayatです。長崎に居たにも関わらず下り1レさくらには一度も乗ったことが無く、1と言う列車番号に感激し身分不相応ですが1等車を奮発しました。前から5両が2等座席、食堂、1等、電源車と続きます。 隣のホームには6時半に到着したKuala Lumpurから来た夜行列車がいました。列車長が違います。金持ちは飛行機、庶民は速くて本数の多い高速バス、只夜行となるとバスでは寝辛いので列車という使い分けがあるのでしょう。昼間走る列車は贅沢と言うことなのでしょう。後ろは取り壊し再建中の駅ホームです。列車が停まっているのは仮駅です。 Butterworthを定時発車しのろのろ走ること27分、タイ方面分岐駅のBukit Mertajamに停車しました。既に10分遅れ。マレー鉄道おまえもか? タイ方面に線路が分かれて行きました。 1等車内部です。3列の座席は大きなピッチと相まって快適です。代金は約¥1.700でした。食堂車は1両前にあるし、とここまでは良いのですが食堂車とは形ばかりで売店に売り子が一人居るだけ、しかもソフトドリンクは売っていますがイスラム国ですからビールなど売ってません。只ラマダン中ですが比イスラムの(切符予約で判っている)私にはこの売り子が発車後すぐ軽食とミネラルウォーターを持ってきてくれました(無料サービス) しかし列車は、ばんばん飛ばし始めました。100キロはでています。右は工事中の新線。この写真は、マレーシアの客車ドアは手動なので開けて左手で手すりを握りしめ右手でカメラを持ち決死の撮影でした。3両前の2等車にも鉄がいて同じ事をしています。 Taipinからマレー鉄道有数の難所の山越えです。蒸機時代は大変だっただろうなと想像できる急勾配急カーブ区間を強力DLは難なく越えて行きます。トンネル縁石はDLの油煙で煤け、蒸汽時代みたいでもあります。 ここも眼下の谷底ではショートカットの新線工事が進んでいました。 駅舎が見事なIpohを11時45分発車、25分遅れ。Kuala Lumpurからここまでは電車運転開始に際しホームに無粋な屋根をかけてしまったので列車から見るとごらんの通り。尚この駅舎は2,3が階ステーションホテルとして未だ現役です。 韓国製快速電車とすれ違い、相対速度200キロくらい! Kuala Lumpur(旧)駅は通過、近郊通勤電車とステーションホテルとしてしか使われてないのはいかにも惜しいです。 旅情などひとかけらも沸かないようなSentral Kuala Lumpurに到着14時20分着20分遅れでした。乗務員は全員交代し列車はこのあとWoodlandsまで6時間かけて走り続けます。私はここまで、お疲れ様でした。 追記: タイ国鉄、マレー鉄道の二つに乗ってみて、面白いのは断然タイの方です。特に窓の開く3等車に乗るチャンスが無かった(行程を組まなかった)ことが悔やまれます。マレー鉄道は、幹線の西回り線は、良い線路に良い車両で快適ではありますが面白くありません。今回はタイ深南部を避けたため乗れなかったマレーシア側の東回り線はジャングルトレインの別名もあり、親子連れの象を轢いて遅れたとかのニュースもあり、グーグルアースで路線を見ても面白そうだったのですが残念です。 今回日本で計画を立てましたが、インターネットが使えなければこんな旅行計画は立てられませんでした。参考にしたサイトを下記します。 先ずこれを見なければこんな旅行のアイデア思いつきませんでした。韓国とタイの鉄道時刻表です。http://moyashimon2010.web.fc2.com/koria/index_koria.html タイ国鉄のホームページです。http://www.thairailways.com/booking-ticket.html マレー鉄道に詳しいです。http://www.big.or.jp/~aochan/travel/ktmtrain/malayrail.html マレー鉄道のホームページです。ここから乗車券購入が出来ます。時刻表も判ります。http://www.ktmb.com.my/ ホテル検索と予約は、バンコクやクアラルンプールなどの大都市は引く手あまたでいろいろなサイトがありますが、地方都市は需要が少ないからでしょうか、苦労しましたがこの二つで出来ました。http://hotels.asiawebdirect.com/ http://www.agoda.com/
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8月15日、今日乗る列車は昨夜2250にHua Lamphongを出た夜行列車です。予定ではSurat Thani0820でどうせ遅れるのではないかと踏んだのですが万に一(?)という懸念と、この駅からはローカル支線が分岐していてその列車が居るはずと7時にホテルを出ました。ホテルには電話があるのでタクシーを簡単に呼べ、渋滞もなく10分強で駅に到着しました。 7時半頃約1時間遅れでHua Lamphongを急行が到着しました。中線に待機中の車両はここ始発で枝線に入って行くローカル列車です。 この急行が出た後、驚いたことには今日乗る41列車が定時で入ってきました。しかし時刻表を見るとこの列車はここまで出発から約9時間半たっています。昨日乗った43列車は10時間(1時間半遅れ)で来ましたからたいした違いは無いことがわかり一寸拍子抜けです。 到着の列車は堂々の5両編成。しかし後部2両はここで切り離してここから終点のYalaまで3両で走ります。これでこの列車が定時で来た理由(多分相当な定時確保の努力を払って)が判りました。今朝、駅には昨日乗ってきた2両のDCが居ません。朝までの間に上り列車となって発って行ったのです。ここからYalaまで走る3両はYalaですぐ折り返し20時過ぎにこの駅に戻ってきますのでそれに併結したのです。では、今切り離した2両は?というとこれは2両だけで1040発上りでHua Lamphongへ戻って行くのです。 ですからこれから乗る41列車は下りですが遅れるとそれに関連する上り列車も大きな影響を受けてしまうので定時確保、と言うわけです。 車内風景です。Surat Thaniまで夜行列車だったのでブランケット代わりのシーツを畳んでいました。このあと前日と同じく軽食が出ました。 トイレの写真です。大の方は、これどっち向いて用を足すのでしょう?左の方に写っているホースは皆さんご存じ水洗用です。それにしても狭いです。 今回の旅行は、始めはこの列車で終着駅のYalaまで行き後続のローカルに乗り継ぎ国境のSungai Kolok駅迄行き国境を歩いて越えマレーシア入りし・・・・・と考えたのですが、バンコクに居る友人からイスラム圏分離派のテロ活動が活発だからやめとけと諫められHat Yaiで泊まり西回りにしました。只、この列車はYalaで30分で折り返すのでそこまで乗ってみようと切符はHat YaiではなくYala迄購入していました。ところがHat Yaiの構内のたたずまいが魅力的なので急遽途中下車し、荷物はホテルに預けカメラだけもって写真撮影です。 ここは大きなジャンクションですから構内にはDC,DL給油に備えた設備があり、それも数年前に爆破された前歴もありHua Lamphongのようにどこからでも構内に入り込めるようないい加減な様子ではありません。構内要所には武装兵士が居て挙動不審者に目を光らせています。ここはこそこそせずカメラも露出しガキ鉄よろしく行動していれば、まさかズドンと撃たれることはあるまいと堂々と動き回ることにしました。 Hat Yaiは駅前が繁華街でホテルをそこに予約しました。荷物を置き、歩いて線路端に行けるというのは安心です。静態保存のスリムなパシフィックがありました。3シリンダー、ベーカーカップラー付きです。 上り列車の出発、こちら側には構内をまたぐ自動車道路があります。 柵の外からなら警笛鳴らされずに写真撮れそうです。 機関車の後ろに低いながらもモスクが見えます。 駅の方角を眺めるとこんな角度になります。40分遅れの上りローカルです。 駅の下り側(南側)にはやはり広いヤードをまたぐ跨線橋があります。こちらは両端が階段の歩行者専用です。右前方に廃車DLがごろごろしていました。 東回り線下りYala行き定刻1451発のローカル列車が発車して行きます。約40分遅れていますが、もう遅ればかりで時刻表でのチェックが面倒になってきました。列車はこの先左へ大きくカーブし直線の西線から離れて行きます。 突如襲ったスコールの中Hat Yai始発の西線Central Kuala Lumpur行き953列車が定時(!)で発車して行きました。この列車はマレー鉄道から乗り入れてきた列車の戻りでButterworthは経由しないでKuala Lumpurに早朝着く座席寝台急行でマレーシアに入ると列車番号は21となります。 1615にSurat Thaniからここまで乗ってきたDC特急がYalaで折り返し戻ってきました。予想通り定時です! Hat Yaiはいわゆる深南部(タイのイスラム圏です)の入り口であり、近年町中で自動車が爆破されたこともあるので、夜食事の外出にはカメラも持たず目立たぬ服装で出かけました。この日は未だラマダン中でもありビールは諦めるつもりでしたが案ずるより易く、華人の食堂でありつけました。 もう一つ、今度の行程で明日8月16日のHat YaiからButterworthまでの切符が購入出来ていません。Hua Lamphongの窓口ではHat Yaiで買えと言われ、この日買おうと窓口で言ったら当日朝6時に発売ということで本当に買えるのか不安です。NET情報では16日乗車予定の35列車は一応は特急ですが、Hat Yaiで編成の殆どは切り離され2等寝台車2両だけが国境を越えてButterworthまで行くとあります。もし買えなかったらどうしよう?と言うわけでホテルで訊いてバス切符売り場へ行きました。バスは0900,1200,1500の3本あると言うことで先ず安心、列車に乗れなければここに来てバスの切符を買えばよいわけです、3本あればどれかには乗れるでしょう。と一安心して回りを見渡すと、この売り場の隣はその名もPink Hotel(中国語英語併記でした)Turkish bath、こんなところで語意が日本を源とする熟語に会うとは思っても居ませんでしたが、とにかく扇情的語句と写真のオンパレード。当会で高名なH氏やA氏なら列車をバスに変更して沈没だなとにやりとしつつ、朝6時前から駅窓口に並んで列車切符をゲットしなければならぬのでホテルに戻ったのであります。
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このディーゼルカーはうれしいことに運転席との境はガラス張りの扉です。しかし悔しいことには両開きなので正面貫通扉を通してまっすぐ先を見通せません。ご覧下さい。 中央の邪魔者を避けるとこのような写真になってしまいます。運転席を覗くには斜めですから不自由しませんがやはり正面を直視できないの1でイライラします。頼めば中へ入れてくれそうな雰囲気でしたが一人旅で網棚に載せた荷物も盗られないかと気になるのでぐっとこらえ、交換で停車したときなどカメラをもって駆けつけます。エアコン車で窓は開けないし窓ガラスはあまりきれいとはいえないので大人しく窓外を眺めます。 南線は遅れが常態とは聞いていたのですが、この最速特急は出発直後からじりじり遅れ出しました。短尺レールのタタタン、タタタンという懐かしいリズムをききながら、このレールで正規に飛ばしたらどんな感じになるだろうかと考え、どうせ今日は終点で泊まるので着いてくれれば良いや、と居直ります。これが予定に追われる旅と違う今回の醍醐味でもあります。遅れの程度はNakon Pathom(48Km)で約30分、Hua Hin(213km)で約1時間、終点のSurat Thani(635Km)で1時間40分と行ったところです。バンコクから離れると体感速度100Km/h以上で飛ばしますがどうもこの列車は折り返し発車時刻まで余裕があるので特急なのに上り列車優先で交換待ちが多い感じです。 バンコクを出てしばらくは複線区間が続きました。かぶり付きから、近郊ローカルとのすれ違いです。ガラス2枚越しなのでさえません。 そうこうするうちに、車内販売ならぬ軽食の配布(無料、乗車券代に含まれています)が始まりました。 菓子パンと水、これは出発して間もなくのもので10時のお茶に相当するスナック これは米飯の上に鶏肉の載った昼食。このサービスの合間に車内販売もありましたがビールがないのでパス。「乗ったら飲むな」の清い旅です。 食べ物の臭いをかぎつけておなじみコックローチが現れました。これも旅のほほえましい思い出。 途中Hua Hinで、トイレだけは窓が僅かに開くので停車中に撮影。 一天にわかにかき曇り、スコールが襲来。列車は100キロ位のスピードで走りますが、驚いたことに正面貫通扉の隙間から雨が入り込みこの有様です。運転席、助手席(この列車は助手も乗車しています)は勿論雨は吹き込んで居ませんでしたが。 雨も上がった交換停車中に貫通扉を開けて雨の漏れる箇所を点検していたので、乗務員室仕切り扉を開けて貰い交換列車を1枚。これもローカル列車です。特急列車の遅れ回復に努力などありませんが、急ぐ旅でもなし「これも良きかな」です。 1時間40分遅れの18時10分やっとSurat Thani到着。10時間で600キロ強ですからまずまずの速さです。この車両は20時25分にYalaから来る列車に併結でHua Lamphongへ戻ります。 交換でHua Lamphong行き上り急行が発車してゆきました。エアコン付きの客車が編成に入っていることが列車の格を示しています。 この駅は観光地であるコ・サムイ島へ渡る最寄り駅ですが市内から離れていてホテルにはタクシーで行かねばなりません。多分何台かたむろしているだろうと考えていたのが間違い、結局タクシー乗り場に同じく並んでいたタイ人が来合わせたワゴン車と白タク交渉をしていたのに割り込ませて貰い事なきを得ました。
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かねてよりタイはバンコクからシンガポールまで鉄道の旅をしてみたいと思っていました。今年の7月にはシンガポールの終着駅が由緒あるTanjung Pagarからコーズウェイを渡ってすぐのWoodlandsになってしまい、タイのほうも数年後にはこれも由緒あるHua Lamphongは近郊列車のみの発着となり長距離列車は北方のBang Sue Junctionに発着が変わるとタイ国鉄のホームページに発表されていますので、これは早く行かねばとこの8月に決行しました。しかし都合あって今回はマレーシアのKuala Lumpur(Sentral)までです。Sentralと断ったのはこれも由緒あるクアラルンプール駅は既に列車通過駅になってしまっているからです。 これから乗るタイ国鉄の南線はバンコク発で国境を越えてマレーシアに入るのは西線(本線?)がたったの1本、途中というより国境に近いHat Yaiから別れ深南部の国境の終点駅Sungai Kolok迄行く東線が2本、但し東線終点駅へはローカルに乗り継げば他に2本連絡出来る列車があるので合計4本となり便利です。その上国境は徒歩で越えなければなりませんが連絡するマレーシア側は別名ジャングルトレインと言われる象をはねたとかのニュースもある線で、当然この東線を通ってみようと考えました。しかしタイ国鉄のホームページを読んで行くと列車が深南部イスラム分離派に襲撃されるので武装兵を警乗させているなどとあり,まだ命が惜しいので残念ですながら今回はパスです。 旅行するに辺り、この1本しかないHua Lamphong発Butterworth(マレーシア)行きに乗るのが常道らしいですがこれは出発が1445で大半の行程は夜行となり景色を楽しめません。更にマレーシア内に入っても恐ろしく連絡が悪くKuala Lumpurまでも夜行となってしまいます。で、時刻表と首っ引き検討の結果下記の予定を組みました 8月14日 Hua Lamphon(Bangkok) 0805発SPDRC43列車 Surat Thani1630着、この列車の終点です。635Km、SPDRCとはディーゼルカー特急のことです。2等モノクラスで578バーツ。尚タイ国鉄は3クラス制です。 8月15日 Surat Thani0820発SPDRC41列車 Hat Yai1227着、Bangkok発Yala行き列車です。294Km、当初Yala迄行って折り返すつもりでしたのでYala迄2等454バーツ。 8月16日 Hat Yai0657発SP35列車 Butterworth1351着、Bangkok発で只1本国境を越える列車です。215Km2等332バーツ、SPとは特急のことです。 8月17日 Butterworth0800発1列車(通称Express Rakayat)Sentral Kuala Lumpur1404着 列車番号の「1」から判るとおりマレーシア北部の大都市ButterworthからSingaporeまで、残念ながらこのとき既にWoodlandsが終点になってしまっていましたが、行く看板列車です。距離不明、1等で67リンギット、尚マレー鉄道は2クラス制です。 それでは順を追って様子をご覧下さい。 8月13日にバンコク入りしました。ネットで駅付近の地図をチェックし、ツインタワーホテルの高層階に泊まれば駅を見下ろせるのではないか、と見当を付けて泊まったのですがこれは外れ。陽も未だ高かったので駅へ向かって構内を隔てる塀に沿って歩き出すとすぐ通用門(職員だけでなく、駅を突っ切り、先の操車場も突っ切りその先の民家の住人も通る)がありそこからホームの外れに出られました。到着、出発、入れ換えと取っ替え引っ替えDLとDCが行き交います。 後ろのビルはホテルではありません。でも徒歩10分足らずで(通用門からですが)ここに立てば、こんな列車、これは近郊ローカルですが、 が出入りするのですから応えられません。 通用門からはこんな礼拝所も見えました。祭ってあるのはC56です。 構内を駅本屋の方に歩いて行ってみました。夕日のさす駅構内です。終端ホームには発車待ちのチェンマイ行1、2等寝台座席特急がいて前景には豪華な蘭の花、というこの光景が数年後には見られなくなるとは全くもって残念です。 8月14日 朝食を摂る必要もあり早朝にチェックアウトして駅へ向かいました。...
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昨年横浜で藤倉菊太郎氏と、今年東京でこれは私単独で版画展を開きました。会場で、写真や絵では無く版画に惹かれてきた道筋を来場者と話すうち、記憶や資料が残っているうちに纏めてみようと思いつきました。 ご用とお急ぎで無い方は、こんな趣味にこだわる一文に一寸の間お付き合い下さい。 尚、文中一部を除き関係者の敬称を略させて頂きますことご了承下さい。 1950年代に万世橋にあった交通博物館に行った方は、1階の売店で確か10円で売っていた歴代の汽車電車解説リーフレットを憶えているかと思います。蒸機は余りなじみが無かったので記憶が薄いのですが電機や電車が光と影(白と黒)だけでその特徴を的確に捉えていたのは今でも憶えています。残念ながら小学生から中学生時代にかけてのこれらの資料類は手元に残っていませんが、「光と影だけで」の印象は脳裏に焼き付けられ現在に続いています。それほど印象が強烈でした。 長じて、鉄道研究会なる夢想家集団に引きずり込まれ人並みに模型や写真にも手を付け、卒業まで平穏な生活が続きました。 この会には無視できない数の偏執狂が居て各々自説に固執していたのですが、各人己の特異性を判っていたのかそれを強制されることが無かったのはこの学校の良き伝統で、これは卒業してから判りました。ありがたいことです。 前置きが長くなりました。これからが始まりです。就職したその勤務先が最果ての地であったことから、殆どは都住まいの友人たちに毎年12月になると年賀状を 作ります。印刷すると(費用もかかるし)味気ないので手作りの(木)版画で行くこととし、小学校で習っただけのうろ覚え技法で始まりました。 左は、多分1967年頃の最初の鉄道をモチーフにした年賀状です。真横から朝日を浴びて力走するあかつきです。しかし狙いはともかく「版のずれ」「小僧刷り(同色で刷るべき面に濃淡が出る)」「絵の具だまりでエッジつぶれ」と我ながら目を覆いたくなる出来です。怖い者知らずとは恐ろしいものです。 あかつきのヘッドマークは、それまでのさくらやはやぶさなどの単純な図案を見慣れて居たので斬新なデザインに見ほれたものです。でも墨でつぶれてしまっています。一度リベンジしなければ。 それから1年、1969年の年賀状が永田(1963年卒、故人)から届きました。はがきは2枚、別々に届きましたので始めは「既に出したのを忘れて2枚出したな、それにしてもこの絵はなんだ?」と思いました。左図はその2枚のはがきをずれの無いように並べてありますが、左の1枚が先に届いたものですから頭をひねったまま。次いで右の1枚を見ていてこれはどうも・・・と気がつき2枚を並べて仰天です。3両のD51が発車直前の構えに入った絵ではないですか。並のファンだったら入れたくなるナンバーや細部のごちゃごちゃ配管など一切省いたが故のトルソーが迫力を持って迫って来るではないですか。稚拙な版画技法で右往左往している者は唯々沈黙するばかりでした。 右往左往するまま1年が過ぎると永田は次なるパンチを繰り出してきました。今度は光と影で表現した立体感あふれるスポーク動輪とコネクティングロッド、シリンダーカバーと前方に曲がる線路が与える安心感、完全にノックアウトされました。 3重連の余白に捺されたエトのゴム印とこの大阪万博マーク、私から見れば傑作の画面上で永田は余裕をもって遊んでいます。 私の版画の技量は上がらぬまま、1970年前後に数回三品さん(1961年卒)、林(嶢)(1964年卒)、黒岩さん(国鉄)の御三方のお供をして筑豊・阿蘇を回りました。その際黒岩さんが版画も作ること、小学生時代に交通博物館で買っていたリーフレットの挿絵は黒岩さんが描いたことを知りました。黒岩さんは日本画を修めていますのでその撮影視点と並んで絵にしたときはどのように省略と強調を施すか、考えを聞かせて貰ったことは大変参考になりました。右のマグカップの絵は金田を発車する9618(クロイハ)の図で、同行の3人も写していますがドレンとドラフトを輪郭線だけで表し、黒い車体を際立たせるだけでなく煙室扉上部を白く抜き単なる正面図となるのを避けている手法など眼を見張りました。描写するだけなら写真です。 (木)版画は版数(色数)の少ないべた塗り部分の多い絵です。 両方とも版画ではありませんが版画的な特長がありますので出してみました。版画的というのは繊細複雑な構図や色調では無いという意味です。 ぼかしが有りますが左は抽象的でデフォルメされた図、右はより具象的な図です。どちらを選ぶか、言うまでもなく具象的なと言うより具体的な鉄道そのものに興味があるので少なくとも車両は違和感なく見られるよう描きます。車両が安心して見られるプロポーションで描いてある絵でないとどうも落ち着かないのは、鉄道好きの宿命でしょう。 左の作者はカサンドラですが右は不明です。(説明がデンマーク語で読めない)出発待ちの夜景、良いですね。 1976年に私は東京転勤になり、そこで版画同好会に入り版ずれ防止、刷りむら防止、つぶれ防止等々初歩的なしかし必須テクニックを教わり本格(?)的制作を始めました。幸いに国鉄線上から蒸機が消えて撮影行は無くなっていましたが本業はあるし、自分で納得できる図案(殆どは自分の目で見たことのある、又は共感出来る)でないとやる気が起きないのでぽつりぽつりですが。 左の版画は初期に制作した、永田の3重連の煙を念頭に置いた登坂するD51です。煙の表現は普通黒煙と白煙(蒸汽)で表したものですがそれでは寂しいのでセピアでふくらみを持たせました、が感じはどうでしょう? そうそう、書き遅れましたが私は版画用絵の具でなくポスターカラーを使っています。習った講師の流儀に習っただけですが、安くてしかも色数が豊富です。 右は、これまた永田の万博マークD50動輪版画に触発された、夕日にぎらりと側面を光らせる96群です。この制作は伊田駅の汽車のいない構内をこの角度でのぞき見たことをうろ覚えしていて、そこに機関車を次々と配置し・重連では寂しいから3重連にし、ボタ山を加え・・・と実際とは全く異なるものとなってしまいました。絵とは楽しいものかな、です。だいたいがグーグルアースで伊田駅を見たら構内はカーブしているしこんなに線路があったとは思えない狭さでした。 スケールモデルならぬ具象鉄道版画 は着々と送られてきました。左は黒岩さんから来た1981年の年賀状です。この年は昭和56年でそれに関係づけたC56がカッチリした線と面で描かれてます。 右は永田から来た1983年年賀状です。刷りのかすれ具合が魅力です。御二方とも作風が決まっていて、これは真似しようにも個性ですから出来ません。我が道は自ら探すしかありません。 右の絵は列車を遠く眺める絶景の日本の風景を描いてみたくなり、クリスマスカード用に作った小サイズ(19x13cm)作品です。列車はシルエットで1版だけ、但し平地部分の「それらしさ」表現に頭をひねりました。ネコと◯◯は高いところに登りたがります。雲海が晴れ始めた、未だ陽の当たらない雰囲気が我ながらうまく表せたと自賛していますが、惜しむらくは大判で作らなかったことです。 絵のサイズが35x24Cmと大きいので大きく出します。私が買ってくる版画用の紙は90x60Cmです。絵のサイズに上下左右2.5Cmづつ耳を付けると紙サイズは40x29Cmが必要でこの原紙から4枚とれる計算です。以前は絵のサイズをこのような計算無しに決めてしまい原紙から切り出すときに無駄が出て不経済なことが少なくありませんでした。年金生活となりこのようなことまで細かい気配りをするようになりましたが、下手な絵を作ってしまい後悔するのが一番の無駄です。金銭的だけでなく費やしてしまった時間の。 雪の景色は、考えてみれば色の無い濃淡だけの世界。昔職場の同僚に南画(墨の濃淡だけで描く絵、中国由来)を描いているのが居て遊び半分一寸かじったことがあります。それを思い出し黒と灰色の重ね刷りだけで階調を表現してみました。実際はブルー系をごく僅か混ぜて居ますがそれは黒を水で薄めるだけでは少し茶色っぽくなるような気がしたものですから、それを打ち消すためです。 この絵は、原画(写真)が有名ですから白状すると昔RAIL MAGAZINEの付録カレンダーに使われた浅原(1964年卒)の写真を下敷きにしています。好みでD51は重連にして本務機はナメクジに変更と好き勝手に手を加えました。岩手山バックのシーンは何回も自分の目で見てきましたからどんどん感情移入出来て、下絵を考える段階から彫り・刷りと楽しく制作できました。 永田の3重連版画に仰天してから40年、私は黒1色で勝負するのが究極のの姿であるとあこがれていました。しかし色が使えるとそれに頼り過ぎるようになり、堕落し本来の何を表現したいか、何を伝えたいかが曖昧になりテクニックに走るようになってしまいます。(現今の鉄道写真業界を皮肉っている、わけではありません・・・・) そこで乾坤一擲のモノクロ勝負。南海の難波駅(が真似した)だと喝破したファンがいましたが。 今回の版画展は全日会場に詰め来場者とお話をする機会が多々ありました。時々顔を合わせる仲間以外との会話は考えても居なかったことが話題になることもあり新鮮でした。只私は気に入ったシーンがイメージ出来なければ制作できないので年に多くて2-3枚、今回出展作の殆どは昨年の横浜と同じでしたので昨年に続いて来られたお客さんには肩身の狭い思いをしました。次回を開くとして大半は未発表作でなければならぬと考えると、後1回開けるか否か考え込んでしまいます。 ...
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昨年の韓国旅行に際し加藤先輩より見せて頂いたリーフレット、やっとつなぎ合わせが出来ましたので発表します。尚スキャンはA3、600dpi sRGBで行いましたが原図はA3より大きかった(B3よりは小さい変形判)ので分割スキャンしたものをつなぎ合わせています。接続部が不鮮明な点は容赦下さい。 追記:read moreをクリックすると横側が縮小された図が出てきますが、それをクリックすると正常な縦横比となりますからそれを拡大して下さい。 中央線は未開通だし、朝鮮動乱後出来た嶺東線・太白線など影も形もありません。唯一道渓から墨湖までのナローがあるだけです。
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