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	<title>NA318T へのコメント</title>
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	<description>鉄研三田会の鉄道井戸端会議</description>
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		<title>koyama より</title>
		<link>http://krc.gr.jp/gazette/?p=387#comment-36</link>
		<dc:creator>koyama</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 07 Aug 2010 14:49:00 +0000</pubDate>
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		<description>遅いコメントですが、「私鉄電車のアルバム2・3」にはこのあたりの台車、および実車の形式写真はすべて掲載されています。時代的に当然なのですが、さすがです（と自画自賛）。
このうち、日立のKH-50は野口さんのご賢察の通り、NA・TSと同仕様のものです。写真では空気バネがベローズ式で、ボルスタアンカもオイルダンパも見えません。ただ、そうするとわざわざ同様の台車に振替えた理由もあまりないように思えるのですが、何か問題があったのでしょうか？
TS-103は2700系の東急製が履いていたもので、現在Mcが履いている井の頭線1000系用のTS-307と似たウイングバネ台車ですが、枕バネが台車枠の奥に入ったタイプで、オイルダンパだけが外に出ているところが異なります。枕バネ部分の構造は、2700系のNA-4Aと共通で、多分NA-4A（これはDT-20風の上天秤バネ方式）を東急でアレンジしたものと思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遅いコメントですが、「私鉄電車のアルバム2・3」にはこのあたりの台車、および実車の形式写真はすべて掲載されています。時代的に当然なのですが、さすがです（と自画自賛）。<br />
このうち、日立のKH-50は野口さんのご賢察の通り、NA・TSと同仕様のものです。写真では空気バネがベローズ式で、ボルスタアンカもオイルダンパも見えません。ただ、そうするとわざわざ同様の台車に振替えた理由もあまりないように思えるのですが、何か問題があったのでしょうか？<br />
TS-103は2700系の東急製が履いていたもので、現在Mcが履いている井の頭線1000系用のTS-307と似たウイングバネ台車ですが、枕バネが台車枠の奥に入ったタイプで、オイルダンパだけが外に出ているところが異なります。枕バネ部分の構造は、2700系のNA-4Aと共通で、多分NA-4A（これはDT-20風の上天秤バネ方式）を東急でアレンジしたものと思います。</p>
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		<title>野口真弥 より</title>
		<link>http://krc.gr.jp/gazette/?p=387#comment-35</link>
		<dc:creator>野口真弥</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 03 Aug 2010 14:59:50 +0000</pubDate>
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		<description>TS-103の画像も手元の資料やネットで見つかりません。どんな台車なのでしょうね。

&gt; 5000系列の写真(KH-39とKH-55)を見ると、ウイングバネ台車を履いているので、番号がちょうど中間に入るKH-50も同じ軸箱支持方式を採用していた可能性が高いと思われます。

私鉄の車両17（保育社）によると、KH-53はペデスタルです。
ともに5000系Tsに装備されたNA-320T、TS-320、KH-53が外観こそ違うもののほぼ同じ仕様であることからも、KH-50と、NA318T、TS321が同じ仕様であったと想像します。

&gt; (相手からアクセス元を特定される懸念はありますか？＝krc.gr.jpのスラッシュ以下までわかるのでしょうか？)

その気になればわかりますが、サイト管理者でないとわからないという程度です。
私個人としてはそういう形でじわじわと存在を明らかにしていくのもアリだと思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>TS-103の画像も手元の資料やネットで見つかりません。どんな台車なのでしょうね。</p>
<p>&gt; 5000系列の写真(KH-39とKH-55)を見ると、ウイングバネ台車を履いているので、番号がちょうど中間に入るKH-50も同じ軸箱支持方式を採用していた可能性が高いと思われます。</p>
<p>私鉄の車両17（保育社）によると、KH-53はペデスタルです。<br />
ともに5000系Tsに装備されたNA-320T、TS-320、KH-53が外観こそ違うもののほぼ同じ仕様であることからも、KH-50と、NA318T、TS321が同じ仕様であったと想像します。</p>
<p>&gt; (相手からアクセス元を特定される懸念はありますか？＝krc.gr.jpのスラッシュ以下までわかるのでしょうか？)</p>
<p>その気になればわかりますが、サイト管理者でないとわからないという程度です。<br />
私個人としてはそういう形でじわじわと存在を明らかにしていくのもアリだと思います。</p>
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	<item>
		<title>坂戸 宏太 より</title>
		<link>http://krc.gr.jp/gazette/?p=387#comment-33</link>
		<dc:creator>坂戸 宏太</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 06:14:44 +0000</pubDate>
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		<description>&gt;KH-50の写真は見つかりませんが、おそらくNA318T（日車）やTS321（東急）と同じ、ペデスタル＋ボルスタアンカーなしの形態だったと推定します。※同じ仕様で3社が製造したと想像。

手元にピクトリアルすらないという緩い状況なので推測の域を出ませんが、、、

京王が日車・東急・日立の3社へ分割発注していた時代のうち、5000系までは台車も各社の図面で製作していました(6000系以降は東急に統一)。私鉄電車のアルバムに掲載されている5000系列の写真(KH-39とKH-55)を見ると、ウイングバネ台車を履いているので、番号がちょうど中間に入るKH-50も同じ軸箱支持方式を採用していた可能性が高いと思われます。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>&gt;KH-50の写真は見つかりませんが、おそらくNA318T（日車）やTS321（東急）と同じ、ペデスタル＋ボルスタアンカーなしの形態だったと推定します。※同じ仕様で3社が製造したと想像。</p>
<p>手元にピクトリアルすらないという緩い状況なので推測の域を出ませんが、、、</p>
<p>京王が日車・東急・日立の3社へ分割発注していた時代のうち、5000系までは台車も各社の図面で製作していました(6000系以降は東急に統一)。私鉄電車のアルバムに掲載されている5000系列の写真(KH-39とKH-55)を見ると、ウイングバネ台車を履いているので、番号がちょうど中間に入るKH-50も同じ軸箱支持方式を採用していた可能性が高いと思われます。</p>
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	<item>
		<title>坂戸 宏太 より</title>
		<link>http://krc.gr.jp/gazette/?p=387#comment-32</link>
		<dc:creator>坂戸 宏太</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 06:06:11 +0000</pubDate>
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		<description>ネットで調べただけという緩いデータですが、、、

サハ2576→伊予鉄クハ853→銚子クハ2502は、当初はTS-103(2122から転用)を履いて出場、1966年にKH-50に、伊予鉄譲渡時の1984年にKH-50→NA318T(2521から転用)に履き替えたようです。

また、サハ2575→伊予鉄クハ852→銚子クハ2501は、当初はTS-103(2121から転用)を履いて出場、1966年にKH-50に、伊予鉄譲渡時の1984年にKH-50→TS-321A(2523から転用)に履き替えたようです。

この2両は14m車が編成中間に挟まれたグループではないので、車体は当初から2010系と同形態で出場しています。

ところで、出所(リンク)を明記することは、試験段階では問題ないのでしょうか？
(相手からアクセス元を特定される懸念はありますか？＝krc.gr.jpのスラッシュ以下までわかるのでしょうか？)</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ネットで調べただけという緩いデータですが、、、</p>
<p>サハ2576→伊予鉄クハ853→銚子クハ2502は、当初はTS-103(2122から転用)を履いて出場、1966年にKH-50に、伊予鉄譲渡時の1984年にKH-50→NA318T(2521から転用)に履き替えたようです。</p>
<p>また、サハ2575→伊予鉄クハ852→銚子クハ2501は、当初はTS-103(2121から転用)を履いて出場、1966年にKH-50に、伊予鉄譲渡時の1984年にKH-50→TS-321A(2523から転用)に履き替えたようです。</p>
<p>この2両は14m車が編成中間に挟まれたグループではないので、車体は当初から2010系と同形態で出場しています。</p>
<p>ところで、出所(リンク)を明記することは、試験段階では問題ないのでしょうか？<br />
(相手からアクセス元を特定される懸念はありますか？＝krc.gr.jpのスラッシュ以下までわかるのでしょうか？)</p>
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	<item>
		<title>野口真弥 より</title>
		<link>http://krc.gr.jp/gazette/?p=387#comment-31</link>
		<dc:creator>野口真弥</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 05:56:34 +0000</pubDate>
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		<description>ネットだけじゃわからん！
というわけで、本棚を漁って鉄道ピクトリアルNo.422（1983/09）を引っぱり出しました。
それによると、当時サハ2575・2576は日立製のKH-50を履いていたようです。KH-50の写真は見つかりませんが、おそらくNA318T（日車）やTS321（東急）と同じ、ペデスタル＋ボルスタアンカーなしの形態だったと推定します。※同じ仕様で3社が製造したと想像。
それが京王時代の末期か伊予鉄への譲渡時に他のサハ2500が履いていた他社製のものに振り替えられ、そのまま現在に至るのでしょう。そして結果的に、銚子電鉄には二種類の台車がやってくることになりました。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ネットだけじゃわからん！<br />
というわけで、本棚を漁って鉄道ピクトリアルNo.422（1983/09）を引っぱり出しました。<br />
それによると、当時サハ2575・2576は日立製のKH-50を履いていたようです。KH-50の写真は見つかりませんが、おそらくNA318T（日車）やTS321（東急）と同じ、ペデスタル＋ボルスタアンカーなしの形態だったと推定します。※同じ仕様で3社が製造したと想像。<br />
それが京王時代の末期か伊予鉄への譲渡時に他のサハ2500が履いていた他社製のものに振り替えられ、そのまま現在に至るのでしょう。そして結果的に、銚子電鉄には二種類の台車がやってくることになりました。</p>
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